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大阪地方裁判所 昭和49年(わ)2968号 判決 1976年1月16日

主文

被告人を懲役一年三月に処する。

ただしこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

大阪地方検察庁に庁外保管しているスーパーコンチネンタル遊技機一台(二番台)、レギュラーコンチネンタル遊技機二台(一〇番台、七番台)、および大阪地方検察庁に保管しているロータリーパレス遊技機一台を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、常習として、

(一)  寺井アヤ子と共謀のうえ、兵庫県西宮市和上町八番一七号喫茶店「チコ」こと前記寺井方において、同店にロータリーパレスなる遊技機を設置し、客に同機械を使用させて、一回に一〇〇円硬貨を一枚ないし二一枚を同機械の現金投入口に入れ、スタートボタンを操作して同遊技機を作動させ予め客の選定した数字と電光が停止した数字とが合致したときは客の勝ちとするいわゆる数字合わせの方法で勝敗を決し、若し客が勝てば客において遊技機に表示された得点に応じて最低一、〇〇〇円から最高二万円までの現金を取得し、しからざるときは被告人らにおいて前記賭金を取得する条件のもとに客と賭博をしようと企て別表(一)記載のとおり昭和五〇年一月二一日、同店内において、客の朱山高弘ほか一名を相手方として、前記条件のもとに被告人らを相手に右遊技機を使用し現金一、〇〇〇円を賭けさせて同人らと金銭の得喪を争い、

(二)  西山昌明及び中村直子と共謀のうえ、大阪市淀川区十三東二丁目一二番四三号、ゲームセンター「フェニックス」こと前記西山方において、同店にスーパーコンチネンタルなどの遊技機一三台を設置し、客に同遊技機用コインを一枚二〇円の割で現金引換えにより交付し、客において右コインを遊技機のコイン投入口から一回に一枚ないし六枚を入れ、スタートハンドルを操作して同遊技機を作動させ、いわゆる絵合わせの方法で勝敗を決し、若し客が勝てば客においてコイン一枚につき一八円の割合で換金する方法で現金を取得し、しからざるときは被告人らにおいて、さきにコインと交換した前記現金を取得する条件のもとに客と賭博をしようと企て、別表(二)記載のとおり昭和五〇年二月三日及び同月一二日、同店内において、客の尾崎義一ほか三名を相手方として、前記条件のもとに被告人らを相手に同表記載の遊技機を使用しそれぞれ現金三〇〇円ないし四、〇〇〇円を賭けさせて同人らと金銭の得喪を争い

もって賭博をなし

第二、公安委員会の運転免許をうけないで、昭和四九年一二月一一日午後九時二五分ごろ、大阪市北区西寺町二丁目九番地先道路において、普通乗用自動車を運転したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

一、被告人の第一の事実

包括して刑法一八六条一項、六〇条

一、同第二の事実

道路交通法六四条、一一八条一項一号

一、第二の罪につき刑種の選択

懲役刑

一、併合罪加重

刑法四五条前段、四七条本文、但書、重い第一の罪の刑に法定の加重

一、執行猶予

同法二五条一項一号

一、没収

同法一九条一項二号二項

(事実認定の理由)

弁護人らは、本件第一の事実につき被告人の賭博の「常習性」および賭客尾崎、同岡田についての賭金額を争っているので当裁判所の判断を示す。

まず被告人らの賭博の「常習性」について検討する。刑法一八六条一項にいう「常習」とは、一般に「賭博行為を反復累行する習癖を有する者」ということを意味すると解されている。そしてこのような常習者の賭博行為は反復累行される可能性が大きいことにより単純な賭博行為より社会に与える害悪が大きいということから重く罰せられなければならないとされていることは論を俟たない。そこで、この賭博行為をする「習癖」ということの解釈であるが、一般に習癖とはいわゆる「くせ」を意味する。このことは、従来の花札やサイコロを使用する賭博を反復累行する者は、性格的にこれを好きでたまらないという者に多く、刑法はこのような者を重く罰しようとしたものであるから、賭博をするくせのある者つまり習癖のある者を常習者と規定し、刑法一八六条一項の「常習」の解釈としたものと考えられる。

しかし、常習賭博を単純賭博より重く罰する理由が前叙のとおりであってその反復累行による社会的害悪にあるとすれば、従来の意味の賭博習癖者の行為よりむしろ本件のような街頭に店舗を構え、不特定多数人を相手に公然と本件のような機械設備を使用して行う賭博こそ反復累行の可能性のきわめて大きく、その社会に及ぼす害悪は密行裡に行なわれる従来の花札等を用いる賭博の比ではないというべきである。そして被告人は、数ある職業の中から本件のような遊技機のリース業を職業として選び共犯者をして、当局の厳しい取締りを免れるため種々の方法を講じて本件のような反復累行の可能性のきわめて大きい賭博行為を営業としてやらせたものであって、このことは法律的には共犯者と共謀して自ら賭博行為を行ったと評価すべきであり、このような被告人の性格傾向は前記のような従来の意味の賭博をする習癖つまり「くせ」というには若干語弊があるかも知れないが、前叙のような常習賭博罪の立法趣旨に鑑み、なお習癖ということの範ちゅうに入るものと解するのが相当である。よって被告人の本件犯行は常習賭博罪に該当するというべきである。

なお岡島弁護人は、第一の(二)の犯行につき遊技客の中には換金を希望しない者もいるということを被告人の常習性否定の根拠として主張しているが、仮りにそのような遊技客がいるとしても、そのような客との関係では賭博罪が成立しないことはいうまでもないが、被告人および共犯者らは換金を希望する客とはいつでも換金に応ずるという体制をとって不特定多数の客をして本件遊技機による遊技をさせていたのであるから、たまたま換金の意思を有する遊技客が現われれば、同人との間においては常習賭博罪が成立するというべきである。

さらに同弁護人は「常習」というからには単に賭博行為を反復累行するばかりではなく、それが人格的な習癖にまで止揚されていなければならないとし、もしそうでなければ、いわゆる営利目的犯、営業犯との区別がつかなくなると主張する。しかし、営利目的犯、営業犯と常習犯をあたかも相容れない性質のもののごとく解し、営利目的犯または営業犯が成立すれば常習犯が成立し得ないと解する必要はなかろう。営利目的犯、営業犯も違法行為の反復累行を前提とし、その故に社会におよぼす害悪を防止しなければならないという立法趣旨であることは常習犯のそれと軌を一にするものであるから、犯罪の要素としても違法行為の反復累行を前提とするという共通点が存することは当然である。ただ営利目的犯は、行為者の営利目的という側面をとらえ、そのことを刑の加重要件とする犯罪類型であり、また営業犯は営業という行為態様の側面をとらえ、そのことを犯罪成立要件または刑の加重要件とする犯罪類型であり、それにくらべ、常習犯は行為者の常習性という性格的要素をとらえ、そのことを刑の加重要件とする犯罪類型であり、営利目的犯や営業犯の行為者がその行為を反復累行する習癖を有しても何ら右各罪の成立を妨げないし、逆に常習犯の行為者がその行為につき営利目的を有してもまたその行為態様が営業的であっても何ら同罪の成立を妨げないものと解する。要するに、違法行為の反復累行の可能性の大きい行為者につき、どの側面をとらえて犯罪として構成するかの問題であって、このことから営利目的犯、営業犯と常習犯の区別がつかなくなるという批判はあたらない。(なお、本件第一の(一)の犯行の共犯者寺井アヤ子が本件とほぼ同じ事実によって西宮簡易裁判所において単純賭博罪としての略式命令が確定しているが、この点は同簡易裁判所と当裁判所は見解を異にするものである。)

次に、本件第一の(二)の事実に関する賭客尾崎、同岡田についての賭金額の問題であるが、本件証拠によれば、尾崎は一、〇〇〇円ずつ三回にわたり五〇枚ずつのコインを借りうけ、一、二回とも全部負け、三回目のコインを少しずつ使用中六四〇枚を勝ったので換金したということであり、また岡田も一、〇〇〇円ずつ四回にわたってコイン五〇枚ずつを借りうけ、一、二、三回とも全部負け、四回目のコインを少しずつ使用中四〇〇枚勝ち、それを知人に分けてやったりして遊技中検挙された(結局換金していない)という事実が認められる。

本来賭博罪は、いわゆる形式犯であって賭博行為の著手によって同時に既遂になるものであり、勝敗の決着あるいは金銭の得喪の事実を要しないものであり、また賭博行為の一部が行なわれたとき賭博行為全体の実行の著手即ち既遂とみるべきことが一般の解釈である。このような前提に立てば、本件の遊技機による賭博行為の実行の著手と既遂時期も、検察官主張のとおりコインを遊技機に投入したときと解すべきことは明らかである。そしてこの場合、仮りに行為者が一、〇〇〇円でコイン五〇枚を借りうけその一部の使用に著手したならば直ちに賭金一、〇〇〇円の賭博行為をなしたとみるべきか、それとも使用したコインの代価に応じた賭金を要したとみるべきかであるが、なるほどコイン一枚一枚の機械投入が各別に賭博行為を構成しうる性質のものではあるが、本件のような遊技機による遊技客の遊技の実情からして遊技者の通常の意思は、右の場合五〇枚のコインをその場で全部使用して遊技しようというものであって、遊技者がはじめから借りうけたコインの一部しか使用しないという特別の事情のある場合は格別、そうでない限り(本件においても右のような特別事情は認められない)全体的に観察して五〇枚の全部使用をもって一個の賭博行為と解し、そのうちコインの一部を遊技に供すれば、前叙の解釈的立場から賭博行為の一部実現として五〇枚全部の使用と同等に評価し一、〇〇〇円全額を賭金とする賭博行為が既遂となると解するのが相当である。

このように、一括して借りうけたコイン全体の使用ごとに一個の賭博行為として一罪と認めるのは行為者の意思に合致し、遊技の実情にもそくし、コイン一枚一枚の機械投入をもって各別の一罪と認める(もしそうであればコイン一〇〇個を連続して使用したならば賭博罪一〇〇罪を犯したことになる)見解より合理的であると考える。賭博行為の一部実現をもって賭博行為の実行の著手であり同時に既遂であるという理論は、別に賭博行為中の一部が他の部分と不可分でなければならないということを前提としているものではなく、賭博罪の立法趣旨に鑑みて偶然のゆえいに関して金銭の得喪を争う意思で行為の一部を実現すれば、既に社会風俗が害されるという趣旨にもとづくものである。従ってコインの一部を手元に残して遊技を中止した場合についても中止未遂を論ずる余地はなく、コイン料金全額につき賭博罪が成立すると解されるのである。

以上のことから、右尾崎、岡田についても起訴状どおりの金額が賭金になるというべきである。

(裁判官 穴沢成巳)

<以下省略>

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